高速道路 千円 乗り放題

曇り
時々

 一緒に行ったオーナーお友達が、午後からの約束のために新幹線で帰ることになりました。それで朝9時半頃、車で上田駅までお送りしました。その後ムジカの洗濯やお掃除を少し手伝い、マウントアサマの演奏会パンフレットを置かせてもらうために、国際音楽村内のこだまホールへ。帰りにもう一度ラベンダー祭りの様子を撮って来ました。

 ETC土日千円乗り放題のサービスを受け、更に混雑に合わないようにと、11時頃出発しました。東部湯の丸インターから上信越に入り、藤岡ジャンクションで関越に、その先鶴ヶ島ジャンクションで圏央道に入ってあきる野インターで下りました。上りは全て空いていてスイスイと走りましたが、対向車線、特に関越では数珠繋ぎになってほとんど動いていませんでした。高速料金は、高速をいくつか跨いだので1,300円。途中藤岡のパーキングでラーメンを食べ、お買い物をして3時間半ほどでした。高速道路千円乗り放題も、土曜の下りはけっこう渋滞に合わずに乗れるようです。今回は、八王子駅近くにある、Jネットレンタカーというお店で、マーチをお借りしました。2泊3日保険料込みで15,750円でした。

※ お天気は、長野県のお天気です。

無言館 (戦没画学生慰霊美術館)

曇り
朝夜

 朝雨が降っていたので、美術館巡りをする予定を立て、まず別所温泉近くにある無言館(むごんかん)へ。ここは、第二次世界大戦中、志半ばで戦場に散った画学生たちの残した絵画や作品、イーゼルなどの愛用品を収蔵、展示しています。画像は、無言館第二展示館(傷ついた画布のドーム)の全景です。雨がだんだん止んで来ました。それで別所温泉の北向観音堂(厄除観音として昔から信仰を集め、長野市善光寺と向かい合うように本堂が北を向いている事から北向観音と呼ばれるようになりました。善光寺と合せてお参りするとさらにご利益があるといわれています。2年参りや節分には多くの善男善女で賑わいます。境内には「愛染かつら」の大樹や多くの歌碑があります。)、奥の安楽寺(信州の学海の中心として栄えた信州最古の禅寺です。境内奥に建つ日本で唯一の八角形の三重塔は、中国宋時代の禅宗様(唐様)という様式で建築されており、国宝に指定されています。)と見て来ました。2つのお寺で、イタリアのローマから来られたというご家族と一緒になりました。

 お昼は上田に来ると必ず寄る茜屋本店で、たらの芽のてんぷらのついた国分寺蕎麦をいただきました。茜屋本店は、今のところいつも待つことなく食べられていますし、お上さんの感じが良いですし、お蕎麦も美味しいのでまた来たくなります。

※ お天気は、長野県のお天気です。

車山のニッコウキスゲ

晴れ
夜雨
 心臓バイパス手術をしてから、初めての旅行です。しかもレンタカーを借りて高速で長野県上田市まで。行きは中央高速を利用し諏訪インターで下車。大門街道を経て車山高原へ。快晴の下、満開のニッコウキスゲを堪能しました。上田に到着後は、まずお蕎麦を食べて ペットと泊まれる貸別荘 Villa Musica へ。夕方、国際音楽村のラベンダー祭りもちょっと見て来ました。関東甲信は梅雨明けした筈なのに、夜は雨が音を立てて降っています。明日の外出はだめかな…?
※ お天気は、長野県のお天気です。

ちょっと忙しかったです

晴れ  今年一番の猛暑となりました。午前中はパソコン中級教室。一旦帰宅し、昼食を食べて一休み。その後、先週予約をしたのに行くのを忘れてしまった歯医者さんへ。今日で一応治療終了となりました。治療が終ると、歯医者さんが一番嬉しく感じますね。やはり食べることは、人生最大の楽しみですから。
 帰宅後直ぐに、パソコンサポートをご依頼されていました百草郵便局近くのお宅まで行って来ました。富士通のノートが全く立ち上がりません。お預かりして、家で外付けハードディスクケースにハードディスクを入れてアクセスしてみましたが、全くアクセスできません。ハードディスク自体を持って振ってみましたら、何やらカタカタ音がします。どうやら物理的に破損しているようです。こうなると、ハードディスク内のデータは取り出せません。専門業者に依頼すればできますが、10万円以上かかります。中のデータにそれだけの価値があるかどうかですね。夜電話で状態をご説明したところ、ハードディスク交換・リカバリで未だ使えるのでしたら、お願いしますと言われ、そうすることになりました。早速ネットショップに、IDE・80GBのハードディスクを注文しておきました。

 明日から信州上田市に、お蕎麦を食べに行って来ます。

関東甲信地方梅雨明け発表

晴れ  晴れて暑くなって来ました。テレビを見ていたら、只今気象庁より関東甲信地方が梅雨明けしたとの発表がありましたと言っていました。平年より6日早く、昨年よりも5日早い梅雨明けだそうです。それで 気象庁のサイトの梅雨明け情報のページ を見てみましたら、沖縄から九州南部、関東甲信地方のみ梅雨明けとなっていました。つまり、九州北部から東海地方は、未だなんですね。

 午後はパソコン入門教室でした。暑いので、皆ふーふー言いながら来られました。最初の40分ほどでコピー&ペースト、カット&ペーストの説明をし、残りの70分ほどはワードで名刺作りの実習をしました。70分もあるからと思っていましたが、全員印刷というところまで行きませんでした。説明をしていると中々時間が経たないのですが、実習に入るとあっという間に時間が過ぎてしまいます。

 右上の花、綺麗ですし長持ちします。この暑さの中でも全然傷みません。

ワーファリンは飲まなくて良くなりました

晴れ  日野市立病院への定期診療日です。11時半の予約ですが、診察の前に血液検査と心電図検査を受けることになっているので、10時半頃家を出ました。駐車場に入った時刻は10時38分。血液検査で待たされ、心電図検査を受けて11時15分頃循環器科に。待つこと1時間ちょっと。やっと呼ばれて診察室に。特に異常はなく、ワーファリンももう飲まなくて良いとのことです。これで納豆と緑の野菜ジュースが飲めるようになりました。便を柔らかくするするために飲んでいた、酸化マグネシウムも止めましょうということになり、服用薬が2種類減りました。で、会計を済ませ地下の駐車場に。車を出して料金を払おうとしたら、料金ゲートのちょっと前の辺りに車が停止しています。あれっ、何で進まないのかなといらいらしているとやっと前進。料金を支払う段になって、またもたついています。支払機から離れて車を止めたもんだから、苦しそうな姿勢で券と料金を挿入しています。更に領収書ももらおうと、領収書発行ボタンを押しているのですが、中々出て来ません。待つことしばし、やっと終わり出て行きました。自分の番です。2時間まで百円なので、てっきり百円だと思って用意していたら、2百円と表示されました。ええ?、2時間越えたかと思いつつ外に出て領収書を見てみましたら、出た時刻が12時40分。2分オーバーしていました。多分あの車がいなければ…。こういうことってあるんですね。まっ百円なのでどうということはないですが…。

2009年都議選終る

曇り  今年は4月12日の日野市長選に続き、7月の都議選も12日が投票日です。夕方にのんびりと投票に行って来ました。折りしも、自民・公明の連立政権が、特別給付金だとか、エコポイントだとか、高速ETC利用者で土日のみ千円乗り放題なんて政策をしているもんだから、政権交代との時風があり民主党の大躍進。自民に対する変われという民意がこのような結果を出した訳で、決して民主党に人気があるということではないと思います。ただ自民も議席を減らしたけれど、割合からいったら共産はもっと減らしている。結局政権交代に繋がる民主に票が動いたということですね。共産に入れても政権交代には全く関係ないということでしょう…。共産は公明のような地盤がないのですね。都議会議員数は127議席。過半数は64議席。自公で61議席、民主・共産・ネット・無所属で66議席。石原都政も、今まで通りには行かなくなりました。ぼちぼち新しいリーダーに登場して欲しいとは思うのですが、それがいないんですね。

追記です
 今回の選挙結果の重要ポイントのひとつとして、民主も第一党になったものの、単独で過半数に達していないということです。反自公の議決をするには、ネットは民主の候補者を推薦していますから民主の議決に同調とすると、共産の票を得ないとできないということです。逆に自民・公明が反民主の議決をするには、やはり共産の票を得ないとできないということで、共産が実に面白い立場となった選挙結果となりました。

 もうひとつ、東国原宮崎県知事国政進出騒動の姿が、鈍感なわたしにも見えて来ました。今回の選挙結果で分かったように、8月30日と予想される衆議院選挙でどうも政権交代が起こる可能性が強くなってきました。そうするとたとえ自民党が東国原宮崎県知事の要望を全て飲んだとしても、そもそも自民党がその実現を行なえる立場でなくなっているということです。自民党の東国原宮崎県知事を利用しての選挙戦法を、国民が相手にしなかったということだと思いますし、東国原宮崎県知事が自民党から出馬して、自民党が政権を維持したとしても、国政は地方自治体と国との関係改善だけで良くなる訳ではないと国民の誰もが思っていたからだと思います。東国原宮崎県知事国政進出騒動は一体何だったのでしょう。そもそも古賀誠選挙対策委員長が、ちんけな発想で起こした行動をマスコミが大きく取り上げ、私たちの要望を全てマニュフェストに載せて私を総理にと、面白い冗談で断ったと思われた東国原宮崎県知事がその気になって踊りだした。まあ、自民にとっても、東国原宮崎県知事にとっても、大きなマイナスになったことは間違いないでしょう。