葬儀を終えて…

 豊田駅北交流センターは、JR豊田駅の北にあるのでその名前がつけられたのですが、場所をもう少し詳しく説明しますと富士電機の隣、グランループというマンションに隣接したところにあります。そこから西友の入り口に向かう途中に(地図) 本格的インド・ネパール料理SANGAM というお店がオープンしました。確かJR日野駅の近くにもあったと記憶しています。

曇り
晴れ
曇り
 きょうはだんだん晴れて来たのですが、時折ポツリポツリ来たり夕方になって雷の音が聞こえたりしました。午前中に1時間歩くことができました。4?5キロほどでしょうか。その後シャワーを浴び、豊田駅北交流センターに行って予定表を取り替え、みずほ銀行に寄って預金と通帳の更新をし、ムラウチ電気に回ってパソコンのプリンター用紙を何種類か買いました。その足で今度は宮にある日野郵便局に行き、きのう不在でいただけなかった郵便物を受け取りました。お香典と、新しく発行された国民健康保険被保険者証でした。病院なんかでは、よく保険証保険証といっていますが、正しくは国民健康保険被保険者証というのですね。お腹が空いて来たので、栄町のいなげやに寄り、お弁当やらお新香やら色々購入。帰宅してゆっくり食べさせていただきました。

 お金を預け入れしたみずほ銀行の口座から、お通夜のふるまい料理を出してくださった会社への支払いをパソコンを使ってインターネット上で行いました。みずほマイレージクラブのクレジットカードで毎月のネット接続料を支払っている関係で、みずほの支店間の送金は全て手数料が無料で済みます。お昼を食べ終わったら、何だか眠くなって来てしまいました。若い頃からそうです。高校の時も、よく午後の最初の授業はこっくりこっくりしてしまって困った記憶があります。それで少しお昼寝。

 朝、立川相互病院から会計ができますとの連絡をいただいていましたので、きょうのうちにお支払いしたくなり、4時を過ぎてから行きました。いつもの寝巻き代、今回は亡くなった後に着せる浴衣のお代も含まれていますので、ちょっと額が多くなっていました。それに死亡診断書の作成料。後その他となって一万円ちょっと請求されていましたが、これは亡くなったおば?ちゃんの体を拭いたり着替えさせたりした時のお代でしょうか。よく分かりませんでした。それとおば?ちゃんが転院する時にするつもりで用意していたまとまったお金を、病院にと寄付させていただきました。思い起こせばおば?ちゃんは日野台診療所と立川相互病院に30年近くお世話になり、おかげで90歳まで生きることができました。おば?ちゃんもけっこういうべき時にはちゃんという人でしたので、立川相互で散々待たされて、怒って病院に文句をいって帰って来たこともありました。確かその時はカルテがちゃんと回されていなかったらしく、後から来た方が次々と呼ばれていたとのことでした。病院のどなたかが、自宅まで謝りに来られたように記憶しています。大腸内視鏡検査の時は、おば?ちゃんが途中で痛くなって検査を中止させ、若い女医さんが怒ってうちに電話をかけて来たこともありました。本当に色々あった病院でしたが、いつの間にかおば?ちゃんにとってはなくてはならない病院になっていて、召天するには一番いい場所だったかも知れません。会計の受け付けの若い女性に、おば?ちゃんが長年お世話になりましたのでと説明しましたが、後でお礼状が郵送されますとのそっけない返事でした。病院を出て、例の御もち屋さんで糠漬けと卵を買い、「見舞っていた母が90歳で亡くなってしまいましたので、もう寄れなくなってしまいましたが、近くに来た時には寄らせていただきます。」といいますと、御もち屋さんの奥さんは「あ?、そうですか、近くに来られたら、ぜひお立ち寄りください。」と仰ってくださいました。やはり温かい応対をされますと嬉しいですね。(^^;)

 帰宅すると、親戚の叔母さんからの留守電が入っていました。10分ほど前ものでしたので、直ぐかけましたら、叔母さんが出てくださいました。叔母さんはちゃんと分かっていてくださり、「これで良ちゃんも自由な時間が持てるね。」といってくださいました。そうなんです、わたしは今本当に自由に動くことができるようになったのです。時間ができましたら是非お伺いいたしますので、よろしくお願いいたしますといって切らせていただきました。間もなく仏教でいうところの壇払いを行ったお寿司屋さんから電話がありましたので、お支払いしますので直ぐに来てくださいとお願いしました。地元のお寿司屋さんなので、とても感じが良いです。あれもこれもとやらなくてはと思うことが浮かびますが、こつこつひとつひとつ済ませて行こうと思っています。m(^^)m

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